7月19日四国遠征・おまけ【岡山城】(岡山県岡山市)
2014-07-31


四国の旅を終えて家に帰る途中、新幹線に乗るために岡山まで来たが、16時半でまだギリギリ岡山城天守閣に入れそうだったので寄り道してから帰ることにした。岡山城は宇喜多秀家が築いた近世城郭で、天守閣が黒板張りだったために烏城の異名で呼ばれていた城である。


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岡山城天守閣になんとかギリギリ入場できたが、中の展示を見ているうちに外は夕立となっていた。画像は天守閣最上階から後楽園方面を見た景色。なお、岡山城天守閣は外観復元の建造物であり、内部は普通の鉄筋コンクリートビルである。


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外は相変わらず夕立が続いていたが閉館時間になってしまったために追い出されることに・・・。画像は本丸本段内部と天守閣。


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本段には雁木門も復元されているが、こちらは来た時から閉まっていたので普段は通行できない門のようだ。


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画像は表書院から本段に登る箇所にある不明門(あかずのもん)だが、どうみても大手のような感じなのに当時は文字通り常時閉鎖の門だったのだろうか?なお、これも天守同様外観復元の建造物である。


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本丸表書院跡は主に建物跡が平面復元されていた。画像は表書院の玄関跡。


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表書院は池田氏時代に増改築されたらしく、地下には宇喜多氏時代の石垣が眠っており、石垣の一部が露出展示されていた。


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表書院の泉水跡で、一応これも復元になるのだろうか?当時は地下に陶器で水道管を作り中の島から水を出すという凝った造りになっていたらしいが、現状はただの水溜りにしか見えない。


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表書院から北に出ると廊下門があり、これも不明門同様に鉄筋コンクリートで外観復元された門である。


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城内に唯一残る建物が月見櫓であり、この櫓は城内側と外側の構造が違って面白い。城内側からはよく撮れるが、外側は樹木が邪魔で画像のような感じでしか撮れなかった。


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岡山城の城址公園の外にも遺構は残っており、西側の高台には石垣がはっきり残っていた。この当たりは岡山城二の丸西の丸跡だが、宇喜多秀家が城を築く前は石山の城の主郭だった場所である。画像に見える石垣の上にはどうやら左に見えるスポーツクラブ施設からしか繋がっておらず、上がどうなっているのかは確認できなかった。


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