7月19日四国遠征・その8【松山城】(愛媛県松山市)
2014-07-29


四国遠征最終日は松山市のど真ん中にある松山城に向かった。この城を訪れるのは2回目になるが、前回は時間の都合で見れない場所も多かったので、満を持しての再訪である。なお、松山城は前日に訪れた松前城を居城としていた加藤嘉明によって独立丘陵に築かれた近世平山城である。


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松山城はやはり登って来る途中の高石垣下を通る通路から見える櫓などの光景が印象深く、ここに来ると「あぁ、松山城だ」としみじみ感じる。


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本丸を目指して登って行く途中にある筒井門は松前城から移築されたもので、放火で焼失する前の門には移築された記録が記載されていたという。画像の筒井門は焼失後に再建されたもの。


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本丸から天守曲輪へと入る場所はいつ来ても威圧感が凄い。ちなみにこの先は有料区画となる。


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小天守から見た天守曲輪の入口付近だが、まるで迷路のごとく入り組んでいるのが面白い。ここからさらに中庭に突破して、やっと連立天守群の内部に突入できるのだから、攻撃側の苦労は底知れないものがある。


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大天守閣は時間が良かったのかすんなり登れたが、生憎の曇り空でイマイチな景色に・・・。それでも松山市内が見渡せるため、十分に絶景ではある。


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前回は気付かなかったが、天守閣最上階に床の間があった。当時はいったい何をここに置いていたのだろうか?


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本丸と天守を散策した後は、前回来ることが出来なかった二の丸へと向かった。二の丸にある建物は復元建造物だが、入口の多聞櫓はなかなか圧巻であった。なお、二の丸内部は有料区画である。


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御殿などの平面復元は全国各地でもう何度も見たが、松山城二の丸の平面復元は廊下を通路にして部屋を水槽や花壇で現すという他に類を見ないもので、これには少々驚かされた。


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二の丸跡には井戸の遺構もあるが、これがまた規模がでかいもので、巨大な窪地に階段で降りて水を直接掬えるようになっている。なお、当時はこの井戸の上に建物もあったそうである。


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松山城は山の麓に広大な三の丸跡があり、以前は公共施設が沢山あった気がしたが、今は半分が広大な芝生公園になっていた。画像は三の丸から見た風景で、右奥に見える石垣の上が二の丸、背後の山の上が本丸である。


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三の丸は土塁と水堀がほぼ現存しており、残っていないのは北側の一部と二の丸との間の堀くらいである。



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