3日目は一日中雨の予報だったため、急遽予定を変更することになった。・・・というのも、予定では敦賀の金ヶ崎城、手筒山城、美浜の国吉城などの山城に行く予定で、とてもじゃないが雨の中で行く場所ではないからである。それでも一日中ホテルの中に居るわけにはいかないため、雨でも散策できそうな場所を探して近江へと移動した。
初日同様湖北で博覧会という選択肢もあったが、せっかくなので逆の湖西へと進み、大溝城へと向かった。大溝城も初日に訪れた長浜城と同じ水城であるが、こ ちらのほうが現存遺構は多い。ここも一応、大河ドラマに関係(お初の夫の京極高次の居城)しているため、幟が駅前から立てられており、おかげで迷うことな く辿り着いたが、病院の駐車場を突っ切るルートは旗が無ければ躊躇していたと思う。
高島総合病院の裏の駐車場のある場所あたりが二の丸跡で、隣接する草に覆われた空き地が本丸と内堀の跡になる。そしてその中に天守台だけが現存しており、天守台の上には手水石や踏み石などが天守の礎石とは別に散乱していた。たぶん、一時期神社が置かれていたのだと思われるが、天守台下の説明板にはそれについては特に何も書かれていなかった。
天守台同様に良く残っている遺構の一つが乙女が池で、二の丸の南側が一部埋め立てられて水田になっていたが、大部分はよく残って今は公園となっていた。
当時の建物としては市街地化した外郭跡の住宅地の中に大溝陣屋時代の長屋門が移築されていた。・・・といっても、民家として流用されたために改造が色々施されており、文化財の説明看板が無ければ気付かなかったかもしれない。
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