7月13日三連休三陸遠征・その2【高田城】(岩手県陸前高田市)
2013-07-17


高田城も麓付近は津波の打撃を受けたようで、天照御祖神社の参道入口には今も狛犬や鳥居の無残な跡が見られた。参道の階段を登った先には腰郭のような一角があり、そこからさらに登った先が神社の境内となる。

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天照御祖神社は三陸地方に広く分布しているが、神社によって由緒がまちまちで何故この地方に広まっているのかはよく判らない。一応、総本社は伊勢神宮ということでいいのだろうか。この神社のある場所はけっこう広い郭で、おそらく高田城の二の丸に相当する郭になると思う。


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神社の西側にさらに高い場所があり、その一帯が本丸公園として整備されている。画像は公園の南端で、恐らく本丸腰郭の跡だろう。四阿はここだけにあり、ここから旧高田市街地が見えるはずだが、木々が邪魔で眺めは悪かった。なお、画像右奥にあるのは震災の碑。


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城跡南部で最も高い場所が本丸跡で、今は広い木々に囲まれた空間となっている。画像正面奥にさらに少し高くなった場所があり、そこには忠魂碑が設置されているが、高田城の標柱もその辺りにある。なお、公園の縁の方には土塁の遺構と思われるものが確認できた。


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城跡は北側がちょうど丘陵続きとなっているが、本丸跡の北側には大きな堀切が設けられており、土橋の跡も見られた。画像手前が本丸側、奥が八幡郭側で、それを繋ぐように土橋が架かっている。


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堀切を渡った先の丘の上が八幡郭で、元は八幡館という高田城よりも古い時代の城跡だという。当然、名前の通りこの場所には八幡神社が鎮座している。高田城では最も高い場所とされているため、ある意味「詰の丸」と言っても良さそうだ。ここも一応土塁が遺構として確認できた。


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八幡郭の北側にも堀切が設けられており、雑木林ではあるがその先の北側も削平地だったので郭の跡なのだろう。


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雑木林の郭跡のさらに先にも小規模な堀切があり、その先にも平場があったがこちらは耕作地が藪化したような場所だった。そこからさらに北に行った先にあるのが画像の堀切と土塁で、本丸公園から数えると4つ目の堀切となる。ここより北には堀切は無く、地形も自然地形に近いのでここが縄張りの北端かもしれない。


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雑木林の中に続く山道をどんどん進んでいくと、民家の裏山を抜けて鳴石公園の脇へと出た。画像がその出口で、ここから手前の方には鳴石団地が広がっている。ここまで辿り着くまでずっと雨が降っており、何気に足元が泥だらけで、下半身は雨で濡れてしまった。道中滑りそうな足場もあったので、雨の日は八幡神社より奥に行くのは止めた方がいいかもしれない。


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