12月24日肥の国旅行・その6(長崎県島原市)
2012-01-02


天草でのキリシタン関係の資料に感化され、3日目は有明海を渡って島原へと移動した。上陸してまず向かった先が島原城で、前日に訪れた天草の富岡城同様にキリシタン一揆勢に攻め落とされなかった堅城である。

禺画像]
大手門跡から内堀へと向かうと、これぞ城といった見事な光景が飛び込んできた。島原城の写真ではよく見るアングルだが、一通り散策した後でもこの場所から見た景色が一番だと感じた。


禺画像]
島原城の本丸には三重櫓が3つ外観復元されていたが、この地方の櫓としてはどれもかなり大きなものだった。


禺画像]
内堀は大部分が現存しているが、水が張られているのは本丸南部の部分だけで、他は堀底に降りて移動できる状態に整備されていた。なお、本丸と二の丸の間の堀底にはゲートボール場もあった。


禺画像]本来は本丸には二の丸から廊下橋を渡って入るしかルートが無かったが、現在廊下橋があった場所には橋は架かっておらず、二の丸からは階段で一度降りてから再び本丸へと登るようになっている。


禺画像]
また、本丸西側には車で直接本丸へ入る道があり、これは無理やり石垣を崩して堀を埋めて作った道である。さすがにこのやり方は少々強引すぎる気がする。


禺画像]
おかげで本丸内部は駐車場の中に天守閣が立っているという、ちょっと残念な風景になっており、西側の三重櫓の付近から駐車場が隠れるように撮るのが観光客の標準撮影風景のようだった。


禺画像]
天守閣の石垣は良く見ると、テレビ番組でのイベントの跡が残されていた。なお、天守閣内部は鉄筋コンクリートの資料館となっており、周囲には侍や忍者にコスプレした従業員がうろついていた。


禺画像]
天守閣の最上階からの眺めは素晴らしく、島原市街がぐるりと一望でき、目の前には火山として知られる雲仙普賢岳が聳えていた。


禺画像]
二の丸、本丸を巡り天守閣に登った後は、武家屋敷へと向かった。ここは現存する屋敷は3家しかないが、通りの両脇には石垣の塀が続き、真ん中を水路が通って見事に当時の通りが復元されていた。


禺画像]
建物としては山本邸、篠塚邸、島田邸の3家が残っており、篠塚邸の角度が異なるが、全体的に似たような造りの屋敷となっていた。


禺画像]

続きを読む

[旅行]
[城跡]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット