8月19日浅井博覧会散策・その2(滋賀県長浜市)
2011-08-25


長浜城跡を散策した後は浅井三姉妹博覧会のシャトルバスに乗っていざ小谷城へ。・・・といっても、小谷城に着いた頃には既に16時近くであり、既に城山に登るバスの営業は終了していたのであった。


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シャトルバスの停車場の一つで、登山バスの出発地にもなっている「お江のふるさと館」であるが、建物自体は想像していたよりも小さなものだった。周辺には出店やステージもあったが、店は2店舗以外は閉店しており、既に本日の営業は終了モードであった。


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16時から小谷城へ登るのはちょっと不毛じゃないだろうかと思ったが、せっかくここまで来たので行ける所まで行ってみることにした。まず出丸へと辿り着いたが、ここはハッキリと判る土塁に囲まれた二段の郭があり、出丸と聞いて期待していなかった分感動してしまった。


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出丸を抜けて車道を横切り、大手道に合流してさらに登ると間柄峠と呼ばれる地点に着いた。ここは六角氏が小谷城に攻め込んできた時に、浅井氏の援軍の朝倉氏家臣の間柄氏が陣を敷いた場所だという。ちょっと陣を置くには狭いような気もするが・・・。


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間柄峠からさらに登ると金吾丸で、ここは前述の戦いの時に朝倉宗滴が陣を敷いた場所だという。正直、城を落とせる気がしない布陣である。


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最近湖北で熊が良く出ると噂には聞いていたが、小谷城にもごらんの看板が設置してあった。前日に『羆嵐』のドラマを見たせいで、正直あまり良い気分ではなかった。
このほかにも「スズメバチに注意」の看板もあったが、こちらは既に単体で飛んでいる奴に遠巻きにお目にかかっていた。


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馬場の窪地のような地形も良かったが、馬を洗ったとされる池の石垣がハッキリ残っているのがなんとも良かった。今もわずかに水が溜まっており、雨でも降ればすぐに池になりそうである。


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黒金門跡を抜けると大広間という広い郭に出たが、ここの背後には本丸があって石垣がハッキリ残っているのが素晴らしかった。本丸の内部には天守台跡という少し高くなった場所があったが、天守というより郭の異名である鐘の丸の通りに、時鐘堂かそれに類するものが建てられていたような気がする。


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本来であれば本丸から大堀切を抜けて京極丸に登り、最終的に大嶽城にまで登るのであろうが、さすがに今回は出発が遅すぎて大嶽城まで行こうものなら夜になるのが確実なため、本丸で引き返すことにした。帰りは大手道から下山したが、大手道の入り口付近の駐車場には大手門の模擬門が設置してあった。ちなみにこの場所も博覧会のシャトルバスのバス停である。

下山後はシャトルバスで駅まで戻り、明日の散策の舞台となる若狭へと向かった。
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